油清の歴史
いまからおよそ200年以上前の1798年から話は始まります。
伊勢湾を取り囲むこのあたりは温暖で、春になると一面の菜の花畑になりました。
その菜の花の実(菜種)から油を絞る油屋さんが多くありました。
そんな頃、伊勢の国桑名藩の馬道という町に油屋を営む兵助という人がいました。
そしてその年、兵助の長男として清九郎が生まれました。
清九郎はこの油屋を本格的な工場を建て、屋号を『油清』としました。
これが油清の始まりです。
二代目の清六は、商いを広げ大きく発展させました。
そして明治時代を迎えました。
三代目の清太郎は、時代の変化に合わせ食用油としてより高度な精製技術を確立しました。
四代目の清次は、大正時代に機械化を進め激動の昭和を堅実な経営で守り抜きました。
五代目の清造は、戦後の高度成長に合わせ運送部門を充実させ、大幅に販路を広げました。
しかし、これからという時に油清は相次ぐオイルショックで大きなダメージを受け、しかも清造は52歳の若さでこの世を去りました。
六代目の清六はこの時に油を絞ることをやめました。
清六は問屋として事業を進め、時代は平成になり、油清は新たにガーデニング部門を立ち上げました。
そして2000年…油清は米油との運命的な出会いがあり、「桑名のこめ油」のブランドを立ち上げました。
そして今、七代目の長男清多佳は跡継ぎになるための修行を積んでます。
こぼれ話
代々の油清の跡継ぎはみんな長男です。
そしてみんな丈夫な大きい身体をしています。
これは油屋という仕事と何か関係があるのでしょうか?
歴代店主の紹介
創業者 兵助 1776(安永 5年)~1845(弘化2年)
初 代 清九郎 1805(文化 2年)~1886(明治19年)
二代目 清六 1843(天保14年)~1922(大正11年)
三代目 清太郎 1865(慶応元年)~1962(昭和37年)
四代目 清次 1895(明治28年)~1988(昭和63年)
五代目 清造 1930(昭和 5年)~1982(昭和57年)
六代目 清六 1955(昭和30年)~
七代目 清多佳 1982(昭和57年)~